積ん読雑記

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2008年12月3日(水) あなたは「10の人びと」に幾つ該当しますか?(No.28)

中島義道『私の嫌いな10の人びと』(新潮文庫)

 著者の略歴を見ると、東京大学大学院人文科学研究所修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了。哲学博士。そして著書を見れば、『哲学の教科書』『うるさい日本の私』『人生を〈半分〉降りる』『私の嫌いな10の言葉』『哲学者というならず者がいる』等々。こう見てくると、「ウーン、かなり偏屈な学者で気難しい頑固オヤジかな」というイメージが浮かぶ。しかし、この本を注意深く読めば、著者が今日の日本人の本質を実に客観的且つ冷静、適切に捉えているかがわかる。書名の通り、10のタイプの人間を様々な例証をあげながら大胆且つ緻密な論考を展開している。まさにこの人ならでは著作と言えよう。
 10のタイプと言っても著者が嫌いな人間に共通するのは以下の点である。「私はある人が……どんな思想をもってもいいのですが、当人がその思想をどれだけ自分の固有の感受性に基づいて考え抜き鍛え抜いているかが決め手となる。その労力に手を抜いている人は嫌いなのです」。至極当然な主張である。しかし、人間はつい楽をしたくなるもの。それは身体だけでなくて、思考を同様であり、「感受性に基づいて考え抜き鍛え抜く」ことは並の努力では叶わない。そこに中島の厳しさが垣間見える。
 もちろん著者は自らの分野にも厳しい眼を向ける。第5章「自分の仕事に「誇り」をもっている人」では、「大学で哲学を教えること」にもメスを入れる。両刃の剣にもなりかねないテーマにも躊躇無く挑む姿勢は自身への厳しさの証明でもある。そうであるからこそ、私たちには耳の痛い種々の主張も説得力をもつのだと言えるだろう。
 本書の趣旨からは少し離れると思うが、私が個人的に興味をもったのは次の箇所である。「三島由紀夫が(対談の中で)『私だって飢えた子がいたら助けてやりたい。でもそれは私のミッションではないと思っている』と言っている。私には三島の言うことがよくわかります。当時(1960年〜1970年代)は、サルトルや大江健三郎のような行動派が『飢えている子供がいるのに、文章を書いていていいのか?』という人道主義的問いを作家たちに発し、それに『悩む』風潮が強かった。時代背景を考慮すると、これほどきっぱり『弱者』を切り捨てている三島は潔いと思います」。三島の発言も中島の意見も、見方によっては非常に誤解を受けかねない。これは人道的あるいは非人道的という単純なる二者択一論では済まされない奥深い問題を孕んでいるが、それにしても二人ともこれだけ自分の考えを言い切れるところに並大抵ではない信念を見る気がする。
 さて、(本当はこういうことを言うのは邪道になるが)本書で著者が言いたいことは、すべて“あとがき”に凝縮されていると言っても過言ではない。もし短時間で理解したいとすればそこを読めばいいのかもしれない。しかし、読書も思考と同じで、それなりの努力を必要とするものである。楽をして本書を理解しようとすれば、著者から嫌われることを覚悟で読まなければならない。 

2008年12月16日(火) ミステリーの面白さと人間ドラマの味わい深さ(No.29)

東野圭吾『さまよう刃(やいば)』(角川文庫)

 私が最初に接した東野作品は『魔球』という青春野球ミステリーであった。文庫で読んだ覚えがある。その文庫の発刊は1991年であるから、少なくともそれから15年は経っているだろう。一度読んだきり読み返したこともないので、正直いうとかなりストーリーの記憶があいまいである。しかし、それまでのミステリーとは違う心の琴線に触れるような読後感があったことは今も鮮明に思い出す。東野圭吾の魅力はミステリーの醍醐味もさることながら、どの作品も人間の心の機微を鮮やかに描ききっているところにある。
 『さまよう刃』は愛娘を殺された主人公の復讐劇である。犯人の少年たち、主人公や少年を追う刑事たち、そして重要な役回りを果たすペンションのオーナー親子等々、登場人物たちの構成は東野作品の常であるように巧みに仕上がっている。大半の作品がそうであるように、この著者のミステリーではいつも配役の妙に感心させられる。さらにストーリーテラーとしての見事なトリックにも驚かされる。撒き餌のようにばらまかれるストーリー上のワナ。淡々と読みふけるうちに最後のどんでん返しで「あ、そうだったのか!」が思わず口をついて出て来そうな意外性をはらんでいるところが実に刺激的である。本書もその例にもれず、最後の場面でトリックに見事嵌っていたことに気づかされた。
 そしてこの小説が単なるミステリーでないところにもうひとつの価値がある。ここでも人間の物語が描かれていて、ミステリーとは別の側面からこの作品を読むこともできる。主人公はじめ登場人物それぞれの微妙な心の動きがきめ細かに表現されている。
 ところで、週刊文春の最新号(12月18日号)に“東野圭吾が明かす「創作の秘密」”という記事が載っている。いつもの見出しと同じく、期待するほどの内容ではないだろうと思ってはみたものの広告の誘惑に負けて買ってしまった。「東野作品の大きな魅力は心揺さぶられる人間ドラマにある。東野氏は「人はなぜ感動するのか」というテーマについて、徹底的な内省を重ねていた」とある。そして東野の創作活動のキーワードに「掘り下げる」「突き詰める」をあげている。「感動の本質を掘り下げる」というのである。これだけでは漠然としていて本当の姿は分からない。“企業秘密”をさらけ出すはずもないから、こんなものだろう。しかし、映画化・テレビドラマ化がこれだけ多くなり、創作の頻度も上がるとなると作品の質がおろそかになるのではないかと他人事ながら心配する。東野の本当の実力を知らない私の杞憂であればいいのだが。

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