積ん読雑記

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2009年1月10日(土) ユーモアとペーソス、思いやりと厳しさ(No.30)

立川談春『赤めだか』(扶桑社)

 (遅れ馳せながら)明けましておめでとうございます。
  本年もご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

 新春とは言ってもメディアに出て来るニュースは大半が暗く厳しい話ばかり。逃げるつもりはないが、少しは気分を変えようと噺家の本を選んでみた。しかし、そこも別の意味で生半可ではないことを突きつけられた。それはそうだろう。私たちが客席に座って落語を楽しむのと、大いなる期待を持って寄席に集まる人々を高座から堪能させるのとは大違いだ。表向きは粋な世界であっても、本当は「とんでもない」世界。「サラリーマンより楽」な訳がない。
 競艇選手を夢見た佐々木少年(談春)が「上手い」というよりその「凄さ」に感動した師匠・談志(本では“イエモト”とルビがふってある)への弟子入りから真打昇進までの数々のエピソードを綴ったこの上ない面白さ満載の本である。落語を超えて一般的なエッセイとして読んでも楽しめること請け合いだ。
 凄いと思ったのは、同門の後輩・志らくが先輩・談春に先んじて真打になる場面。志らくが筋を通してたった一人で談春に伝えに来た時のやりとりは圧巻である。
〜「なあ志らく。どうして真打になるのを急ぐんだ」慣れない仕草で灰皿に煙草を置いて、視線を談春(オレ)から外して志らくが答えた。−略−「談春(アニ)さんを待っていたら、いつ真打になれるか、わからない・・・・・・」−略− 志らくは真打昇進試験の会で見事に談志から合格をもらった。「おめでとう。良かったな」とオレが声をかけたら、志らく(アイツ)は、「ありがとう。君も頑張ってね」と笑いながら答えやがった。「殺すぞ、この野郎」とオレも笑いながら云ったら、まわりが凍った。どうもこの種の洒落は通じないらしい、という現実に談春と志らくの方が驚いた。〜
実力の世界には違いないが、後輩が先に昇進すれば、「アニさん」が一瞬にして「君」に変わる現実。談春は「殺すぞ、この野郎」が洒落と言っているが、私には本気とさえ思えて来るのである。そして談春の真打昇進に際しての談志と、談志の師匠でありながら談志とは絶縁状態にあった柳家小さん(五代目)とのエンディングの逸話まで一気に読ませる筆致はまるで寄席の迫力そのままである。一度も聴いたことがない談志と談春師弟の寄席に是非足を運びたいと思った。
 追記;「赤めだか」の謂れは本書51頁にあるので手にとって見てください。

2009年1月18日(日) 天職を追い求めるロマン(No.31)

小松成美『イチロー・インタビュー』(新潮社)

人間に天職があるとするならば、いったいどれだけの人たちがそれを見つけることが出来るのであろうか。イチローはそれを勝ち取った数少ない人間のひとりである。勿論、彼には人知れぬ努力を抜きにして今があり得ないにちがいないが、それにしても、野球との出会いがなければすべては始まらなかった訳であり、そこに彼の生来の運の強さを感じざるを得ない。「三歳のときに父がくれたグローブとボール」を「四、五歳の頃には結構使い込んでいた」イチローはまさに野球の申し子と言う他ない。しかし、その野球との出会いを確実に自分のものにして行ったところに、彼の野球への計り知れない情熱がうかがえる。
 本書は基本的にはイチローへの単独インタビューから構成されている。一部、弓子夫人が同席してイチローとともに受け答えする箇所はあるが、イチロー自身の野球への思いが満載されている本と考えれば良いだろう。この本の発行は2001年4月であるから、ちょうどイチローがメジャーリーグデビューの時期と重なる。当時、イチローは日本プロ野球界では前人未到の年間200本安打を達成し、名実ともに一流選手の仲間入りは果たしていたものの、今から振り返れば選手として未だ道半ばに過ぎなかった。今この本を読むと彼がいかに「考えている」選手かがよく分かる。世の中「体育会系」という言葉があるようにスポーツ選手というと「あまり考えていない」か「考えていても理屈倒れに終わる」かどちらかのタイプであることが多いが、イチローは頭脳と身体がとてもバランスが取れていることに驚く。この本を読みながら、私はこのインタビューがメジャーリーグで功成り名を遂げた後の最近行われたものではないかと、しばしば錯覚してしまった。それほどここに出て来る発言は時間を超える普遍性を持っていると思う。
 91年秋のドラフトでオリックスという地味な球団の4位指名でしかなかった無名の「鈴木一朗」青年が今日の「イチロー」があると何人が予測しただろうか。しかし、これを読めば後追いながらも、その必然性が分かるような気がする。高校を出て二年目の選手がコーチから打撃フォーム改造を指示されても頑なに拒否し、自己の信念を貫き通した逸話。頑迷と信念はたいへんな違いがあるのだが、凡人には紙一重に思えてしまう。偉人とは私たちにはいつも結果論でしかないのだろうか?

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