積ん読雑記

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2009年3月13日(金) 本に縁のない人に読んでもらいたい本(No.35)

岡崎武志『読書の腕前』(光文社新書)

岡崎武志は本好きの人間ならきっと知っている「古本ライター」である。新潮新書『関西赤貧古本道』の著者である山本善行とともに今や古本、古本屋に関して語らせたら有数のライターである。「東の岡崎」、「西の山本」と並び称される。東の岡崎と言っても、彼は現在こそ東京を基盤に活動しているものの、元々は山本と同じ大阪出身である。なんと、この二人は大阪・守口高校に学び、一年生のときは同じクラスで机を並べた間柄である。高校時代は特に親しかったわけではなく、後年互いに良きライバルになろうとは当時知るすべもなかったという。同じクラス仲間が時を隔てて同じ世界のリーダーとして活躍しているという話からしてなにかドラマティックではないか。「古本ライター」という訳の分からない、胡散くさくもある肩書であるが、要は古本の諸々の情報提供や全国津々浦々の古本屋の紹介などをしてくれる貴重な存在なのである。
『読書の腕前』は岡崎の「古本ライター」としてのノウハウをはち切れんばかりに満載している楽しい本である。肩の凝らない内容と文章なので読みやすさも然ることながら、なかなかなか含蓄のある指摘が多く、著者の人間としての魅力も垣間見える。
本を読むということ、本の取扱い方や管理について、古本屋のこと、本の紹介・おすすめ本等々の本や本屋にまつわる逸話が目白押しであるが、決して専門家にだけ面白い本ではない。そして岡崎自身の家族にも話したことのなかった想い出も触れられていて、ホロリとさせられる場面もある。読書好きでなくても、本屋に立ち寄ることなど殆どしない人にとっても読めば楽しいこと請け合いである。むしろ、日頃あまり本に縁のない人たちほど手にとって欲しい本である。
具体的にこの本のどこが良いのか? 実は引用してみたい箇所があまりにも多いので、ここに紹介しようとする部分の取捨選択に困った。読みながら貼り付けた付箋が多過ぎるのである。閉じた本に林立する付箋の中から「エイヤー」とばかりに開けたページを以下3箇所見てみよう。 
◇「ひとつはっきりしているのは、私の場合、本を読むことによって、自分がいかにものを知らないかを確認できる、ということだ。自分は知らないことだらけ、ということが本を通してわかる」(23頁〜24頁)
◇「ほとんどまともに勉強というものをしたことがなかった。通知表だって、恥ずかしいような成績である。・・・本をたくさん読んでいる人は頭がいい、と思われがちだが、私にはそれがまったくあてはまらない・・・読書論や本について書かれた書物というのは、その多くが高学歴のインテリによるもの・・・しかし、私は自信を持って言うが、優等生であった時期は小中高大を通じて一度もない。頭はよくないが、本だけは読んできたという人間なのである」(201頁)
◇「「少年探偵」シリーズは文部省お墨付きの推薦図書、というわけにはいかない。そこには子どもの誘拐などの犯罪があり、夜道の怪奇があり、探偵ごっこという名の夜遊びがあった。親や教師が薦めるはずもない。いや、それだからこそおもしろかった。・・・親や教師の薦める「良い本」よりも「悪い本」のほうが記憶に強く残っているし、与えられた影響も大きい。ここに読書のおもしろさがある。・・・本には「良いこと」ばかりが書いてあるわけではない。毒が含まれているものだ。・・・知らないままなら穏やかに人生を送ることができたのに、知ってしまったがために眉間のしわが増えてしまった、なんてことは十分ありうる。・・・ものごとを突き詰めて深く考えるようになると、この世の中はあまり生きやすいところではなくなる。本を読むことで、不可避的にそんなことにも気づいてしまう。私は早くから読書により、そのことを学んだ気がする」(209頁〜211頁)
  
どうです?私が無造作にめくった箇所だけでも、つぼを押さえた文章が続く。この他にも魅力の情報や妙味あるコメントは盛りだくさんある。携帯しやすい新書版で780円+税という手頃な価格は決して損はない買い物であると私は自信をもっておすすめしたい。

2009年3月31日(火) 医者が患者となる時(No.36)

清原迪夫『痛みと闘う』(東京大学出版会/UP選書)

言葉、特に最近の話しことばには上滑りが多い。“痛み”もそうだ。したり顔に「他人の痛みをわからなければいけない」などという。そういう輩に限って、他人の(心の)痛みなどこれっぽっちもわかっていないのだ。悲しみや悩みなど心の痛みを人間はどこまで共有できるのか?無責任な一過性の話しことばで理解したつもりになるのは困りものだ。
『痛みと闘う』は、そういう内面性の問題ではなく、身体的痛み、まさに物理的痛覚を伴う人間の病苦について書かれた著作である。清原迪夫(みちお)は東京大学附属医学専門部(医学部の前身)を卒業し、最後は東大附属病院麻酔科外来医長の要職に就いたが、裸足でテニスをやっていた際、風に吹かれて転がってきた煙草の吸殻を踏んだことが原因で「悪性黒色腫」という死に至る病を背負いこんでしまった。そこから患者としての清原の苦しみが始まった。それまで患者の痛みに立ち向かってきた医師が、いきなり立場が逆転し、今度は自身が患者として痛みに向き合わされることになる。人間には果たして心の痛みと身体の痛みと、どちらがつらいものであろうか?いずれにせよ、当事者でなければ知ることのできないそれらを他人がどこまで共感し得るものなのか?清原は運命のいたずらなのか、図らずも医師と患者双方を体験することになる。患者は医者になることはできないが、医者はいつだって患者になっても不思議はないのだ。「今まで観察者の立場で長い間治りにくい痛みをもった患者さんとのつき合いをしてきた本人が、今度は強烈な体験者になった」のである。
この本は、医者の患者としての貴重な体験記録である。「清原君は、医師として必ずしも患者に親切ではなかった。清原君にどなられ泣かされた患者も何人かはいる。しかしそれが、今度は完全に患者の側に立ち、患者の立場で物を見る医師に変貌したのである。・・・そういっても、清原君も人の子である。余命いくばくもないと知りつつ入院している心境はまことに複雑なようで、時にはおこりっぽく、時にはうつ状態になり涙をながすこともあった。本書は、闘病中における清原君の記録や講演などをまとめたものであるが、このようないろいろ複雑な背景のもとにこの記録が行なわれたことを、読者はよみとってほしい」
これは清原の大学の恩師、山村秀夫の序文からの引用であるが、ここにこの著書の全貌がよく説明されている。痛みの記録、病者の経験を踏まえた医者としての諸々の意見、医療問題、医師のあり方等々心のあり方から医療システムまで広範な記録集である。
清原は1978年に永眠したが、30年の時を超えて今も、医師にも患者にも、そしていつ病者になるかもしれない健康者にも示唆に富んだ本であることに変わりはない。

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Akiary v.0.61