積ん読雑記

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2009年4月15日(水) あらためて知る芥川賞という歴史(No.37)

佐伯一麦『芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新聞出版/朝日新書)

    
この本を手にとって先ず目についたのは、巻末の芥川賞候補作一覧である。昭和10年上半期の第一回から平成20年上半期の第139回まで受賞作および候補作のすべてが一覧できる。年号を追いながら、作家そして作品名をながめているだけで面白い。昭和あるいは平成の年次によってその年の社会的出来事や自分史の体験を思い出しながら、作家たちの文壇デビューをオーバーラップさせる。歌が想い出をつれて来てくれるように、小説も追想をよび起す道具にもなるのである。
書名のとおり、「受賞に至らなかった作品の中にも、受賞作に負けない名作がある」をモチーフに「受賞したかどうかに関係なく良い作品をもう一度読む」ことを趣旨にしている。書名と同様のタイトルで著者が「仙台文学館」において行った講座をまとめたものである。
(余談ですが、著者が仙台出身の作家という縁で企画された講座と推測されますが、この仙台文学館は今年がちょうど開館10周年。緑に囲まれた清潔感ある館です。仙台を訪れる機会には是非お立ち寄りをおすすめします)
受賞を逃した数ある名作の中から、12作品を取り上げている。例えば、太宰治『逆行』。これは昭和10年第一回の候補作品であった。その時の栄えある受賞作は石川達三『蒼氓』。ブラジルでの農場体験を踏まえた作品である。この回では高見順も候補に上がっている。佐伯によればこの時と昭和29年第31回(吉行淳之介が受賞)がどの作品が受賞してもおかしくない名作候補ぞろいだと云う。
芥川賞は選考委員の選評がたいへん興味あるところであるが、本書でも太宰作品について選考委員(佐藤春夫、川端康成、瀧井孝作ら)の選評が紹介されていて作品に対する読み方の個性が表れていてそれぞれに面白い。もちろん、本書ではそうした舞台裏の逸話だけではなく、太宰作品の分析も行っている。「小説の出だしの工夫」、「体言止めの豊富さ」、「(単なる私小説とは違う)「私語り」の技巧を凝らした小説家」等々学ぶべき指摘は多い。
12作品のうち、私の印象に特に残ったのは吉村昭『透明標本』。吉村はその作品を含め、四度候補になりながら、結局受賞の栄誉に浴することはなかった。後に、妻・津村節子が芥川賞作家にその名を列ねることになる。芥川賞へのこだわりがなかったと言えば嘘になるだろう。しかし、三島由紀夫も村上春樹も受賞はしていない。村上は二度ノミネートされながら最終的に選ばれていないし、三島に至っては一度も候補にさえ上っていないのだ。
また、初めての候補作が一発で受賞を勝ち取りながら、その後の執筆活動が鳴かず飛ばずの作家だってめずらしくない。芥川賞の称号がないことがその作家に良い結果をもたらすことだってあり得るだろう。後年、吉村は「芥川賞を取っていたら、自分は歴史小説に手を染めなかった」と言った。芥川賞作家・吉村昭が誕生していたならば、歴史小説の名作が世に出なかったかもしれないのだ。
ともに候補になりながら、取ることのなかった島田雅彦と著者・佐伯の巻末対談も載っている。両者とも何度かのチャンスを逃しているだけに幾分の屈折した感情が行間に垣間見えなくもないが、一読に値する対談であることにも触れておきたい。

2009年4月30日(木) 池波正太郎の時代小説はなぜ心を打つのか(No.38)

池波正太郎『男振』(新潮文庫)

いつもながら思うことであるが、時代小説家は大きなハンディを背負っている。時代小説は基本的に娯楽を目的にしており、読者は単純にそれを楽しめばいいが、著者はそうはいかない。例えば、時代考証。娯楽目的の作品といえども、しっかりとした時代背景、当時の生活、人々の行動様式等々事実に立脚したものでなければならない。フィクションであっても想像力に任せて自由気ままにすべてが書ける訳ではない。時代小説には必ず「インフラ」に当たる部分があり、その時代に即した内容を伴わなければならないのである。
しかし、時代小説と言ってもそれは「現代の」時代小説であり、ある意味では今の人間に受け入れられる要素がなければならない。単なる歴史を追いかければ良い、史実優先の物語なら別であるが、小説の中に現代人も共感できる「何か」を読者は求めるものである。
良き時代小説とは私たちの琴線に触れる「何か」を持つ作品なのである。それは必ずしも教訓とは限らない。主人公が立派なその時代のリーダーたちばかりでなく、時には市井の人である場合も多い。よく比較されるのが司馬遼太郎と藤沢周平である。天下国家を正面から論じるタイプが司馬遼太郎であり、無名の人に光を当て、そこから大きなテーマへ導き出して行くのが藤沢周平ということになる。今回取り上げる池波正太郎もどちらかと言えば庶民や名も無い人を大事にする作家であったと、私は考える。
池波の代表作、ご存知『鬼平犯科帳』の主人公は江戸の火付盗賊改方、今で言えば警察庁長官のような存在であり、「高級官僚」ではあるが、小説の中では町の人たちとの交流を大切にする。地位の高い役人を敢えて配しながらも、庶民目線での感覚が大作を通して一貫している。『男振』は越後の小藩が舞台。主人公・十五歳の堀源太郎は一歳下の若殿の学友である。主人公があることが原因で若殿を殴りつける事件が起こり、そこから藩を揺るがす事態へ発展して行く。一種のお家騒動の物語であるが、この小説に流れるのは人間の物語である。江戸時代を題材にしながらも、現代にも通じる人間の愚かさ、優しさを読者に訴えかける「熱さ」があるのである。そこに池波正太郎の人気の秘密を見つけた気がした。

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