積ん読雑記

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2009年5月8日(金) テレビ局人間を見直してしまった一冊(No.39)

松本 修『全国アホ・バカ分布考』(新潮文庫)

今シーズン開幕当初、イチローが胃潰瘍で欠場した時のインタビューで、「胃潰瘍を漢字ではなく、仮名で表記して欲しい、その方が柔らかい感じがしていい」と発言していた。漢字ではいかにも重症を思わせるが、イカイヨウであれば深刻さが緩和されるという趣旨である。この天才打者が言語感覚にも優れていることに、いたく感心した。これは同じ単語で漢字と仮名という表記方法の違いが生む効果をいみじくも示した好例であるが、同じ意味を持っている別の単語となると、その印象の違いが一層際立って来る。「バカ」と「アホ」はその代表格であろう。「アホの坂田」とは言えても、「バカの坂田」とは使いづらいのではないか。他人を蔑称する同じ意味ではあっても、バカは徹底的にその人間を貶めるイメージがあるのに対して、アホは音韻的にもどこか婉曲な雰囲気があり、お笑い芸人の名にふさわしいユーモラスさがある。
松本修『全国アホ・バカ分布考』(新潮文庫)は、まさにその「アホ」・「バカ」を追究した力作である。大阪・朝日放送のテレビ番組で視聴者からの疑問「どこまでが『バカ』で、どこからが『アホ』なのか」により、「きっとまだ学者も調べていない」全国のアホ・バカ分布を調べることになる。しかし、それが「はるかなる言葉の旅路」の始まりであるとは、関係者の誰もが知る由もなかった。
言語地理学において、言語の全国的な分布を調べるフィールドワークは基本的な活動であり、決してめずらしくない。但し、その多くは地味に、質素に、時間をかけてコツコツと進められる。アカデミズムとは対極の位置にあるテレビ局がこうした活動をすること自体に新鮮さはあるものの、「しち面倒くさい勉強は注射よりも大嫌い」な人間たちが果たしてどこまで成果を出せるものなのか? 制作責任者である松本自身も半信半疑であったに違いない。しかし、そこはテレビという力のなせる技。「学芸部の新聞記者が、羨ましがっていたよ。テレビだからこそできる企画だと」と言われて松本は自信を深める。
並みの制作者であれば、おそらく、アホとバカの境界を適当に紹介することでお茶を濁すだろうが、松本の根っからの真摯な研究心とスタッフや出演者の好奇心は、その後の大いなる所産を生むことになる。一テレビ番組の思いつきとも言える企画が方言学、民俗学へと必然的に踏み込み、なんと、柳田國男本人さえ晩年に疑問視していた「方言周圏論」を実証する高みにまで行き着くのである。言語学の最前線にまで及ぶ愚直で偉大な仕事を成し遂げた人たちがテレビ局の人間であるとは! 彼らの真面目さと誠実さに惜しみない拍手を送ろうではないか。

2009年5月29日(金) 書名で思わず手にとってしまった本(No.40)

東 照二『歴代首相の言語力を診断する』(研究社)

「政治の世界で歴史的ななだれを起こしたのは、書かれたことばの力ではない。それは語られることばの魔力だけだ」。本書の冒頭に引用されている格言であるが、なんとこれはヒットラーの言葉だそうだ。ヒットラーの言だと言われると抵抗を感じる向きもあるかもしれないが、これは間違いなく、名言だと言ってよいと思う。その魔力を日本の政治家の頂点、総理大臣たちはどのように使ってきた、それぞれにどういう特徴があったかを検証した興味深い本である。
元々、政治家の、特に日本の政治家のことばと云えば、堅苦しく遠いイメージがあったが、最近は善きにつけ悪しきにつけ政治家と国民との距離感が縮まり、日常的に政治家の談話に接する機会が多くなった。そのため、私たちも政治家のことばにはかなり敏感になっている一方で、政治家の側もことばをパフォーマンス的効果を狙った手段として用いる傾向が強くなっているように思う。
本書では、東條英機から小泉純一郎まで歴代首相の所信表明演説を例にとり、演説全体の長さや一文の長さ、文末表現などを比較し、それぞれの特徴を分析している。例えば、演説の長さは吉田茂や岸信介は短く、橋本龍太郎は長い。岸の所信表明演説が877字15文の短さであるのに対して橋本のそれは実に12,970字166文にも及んだのである。
面白いのは文末表現。演説口調の「〜であります」、謙虚さ・低姿勢を示す「〜でございます」、単刀直入な「〜です」や「〜します」、控えめだが決断の強さを表す「〜いたします」や「まいります」、慎重さ示すが見方を変えれば逃避的な感じがしないでもない「考えます」等々を挙げ、使用頻度から見た一人ひとりの個性を提示している。
「〜であります」は歴代首相が最も多く使用しているが、小泉は少ない。「〜ございます」は全体的に使用頻度低いが、鈴木善幸・宮澤喜一・細川護熙らは多く使った。事を荒立てず「和の政治」を目指すことに苦心した表れかもしれない。「〜です」や「〜します」を好んだのは小泉。簡潔な表現を旨とした姿勢が表れている。「〜いたします」や「まいります」は田中角栄に多く、「考えます」は竹下登に代表されるとなれば、これらもそれぞれのことばに個性が垣間見える。
著者は東条英機、田中角栄、小泉純一郎の三人を「政治家のことば」の観点からの時代の代表として取り上げている。「力の政治」を背景としたことばの使い方の代表が東條、「力」を潜在力とするが、国民と同等のレベルでの対話・コミュニケーションを目指そうとしたのが田中、ワンフレーズ・ポリティクスに象徴されるように戦略的なことばを駆使し、と国民の心を捉えようとしたのが小泉ということになる。日本の政治家の言語を考察するという主題を超えて、この国の文化のありようとその変遷を私たちに知らしめてくれる。

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