積ん読雑記

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2009年6月21日(日) 漫画はメイン・カルチャーとなり得るのか?(No.41)

手塚治虫『ルードウィヒ・B』(潮出版社)

先日、神保町を歩いていたら、手塚治虫の小ぎれいで廉価なマンガ本を見つけたので早速買い求めた。ベートーベンの生涯を描いたもので、1989年2月に手塚が亡くなる直前まで月刊誌に連載しており、絶筆となった作品である。残念ながら未完に終わっているが、未完の作品ゆえに私たちに計り知れない大きな余韻を与えてくれる。
手塚はどのような話の筋を考えていたのか、どのような結末を用意していたのか、興味は尽きない。もしかしたら、この物語は手塚から読者への最後のプレゼントであるとともに、読者一人ひとりが結末に関してどのような想像力を働かせるのか、その力量を試そうとした作品かもしれない。そう考えると、この作品は一段と存在感が増して来る。
手塚にはいくつかの伝記的要素をもつ作品、『ブッダ』や『アドルフに告ぐ』などがあるが、これも代表的な人物伝の一作である。手塚の場合、人物伝と言ってもそこには単に歴史的事実をなぞるだけではなく、書き手の想像性が縦横無尽に発揮され、ノンフィクションとフィクションが絶妙に調和された独特の彩りが備わっている。
私が漫画を夢中に読んだのは小学生から中学生時代であり、少年サンデーや少年マガジンの創刊時と重なる。その頃の漫画週刊誌は今のような分厚いものではなく、今の一般週刊誌のような厚さであり、綴じ方をしたものであった。「スポーツマン金太郎」「伊賀の影丸」「快球X現る」などお気に入りの連載物を早く目にしたくて、毎週の発売日には飛んで買いに行った。その時すでに手塚治虫は大家としての確固たる地位を築きあげていて、子ども心にも「鉄腕アトム」は、横山光輝の「鉄人28号」とともに特別な存在に思えた。
 現在、漫画はサブカルチャーの代表としてゆるぎない存在であり、なぜか漫画家が名士にまで地位が向上した。読者も漫画に純然たる娯楽以上のものを期待しているように思える。しかし、手塚は漫画がサブカルチャーに過ぎず、メインカルチャーとはなり得ないことをよくわかっていた。「漫画は漫画でしかない」と手塚は晩年発言している。漫画に下手な思想性や文化的使命を持ち込もうとする昨今の流れには経済的狙いしか感じられないが、漫画に過大な幻想を持たなかった手塚にこそ漫画の普遍性を見出すことができる。


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