積ん読雑記

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2009年8月17日(月) 生誕100年を契機に忘れていた作家・中島敦を読む(No.44)

中島敦『名人伝』〜新潮文庫『李陵・山月記』所収

古本屋の100円コーナーに中島敦『李陵・山月記』が並んでいたので買って来た。
中島敦といえば、高校の教科書に載っていた『山月記』を思い出す。漢学者の祖父、漢文教師の父を持つ中島ならではの漢文調の文体、中国に題材をとった物語、平成の今でも中島の小説はとても面白く読める。多く教科書で取り上げられているものの、それほどポピュラーとは言えないこの作家が今年は太宰治や松本清張とともに生誕100年の節目にあたるため、文芸誌や新聞・雑誌に何かと取り上げられている。少しでも中島敦への関心が高まることはたいへん良いことだと思う。その作品は必ずしも正統派ではなく、むしろ異色の作家に分類されるかもしれないが、時代を超えて読者に訴えかける主題は深くて重い。
『名人伝』は中国の古典『列子』(“杞憂”もこれに由来)に典拠しているが、他の著作と同様に中島ならでは教養と思想を踏まえた近代的物語に仕立て上げられている。
紀元前、中国戦国時代の趙の都・邯鄲に住む紀昌(きしょう)という男が天下一の弓の名人になろうと志を立てる。天下に鳴りわたる弓の名手・飛衛(ひえい)の門をたたく。そして五年余り、紀昌の弓の腕は限りなく向上する。飛衛は更なる目標として遥か西方の深山に住む甘蠅(かんよう)老師なる人物に教えを乞えと進言する。
甘蠅の教えは“不射の射”。甘蠅が高い空を飛ぶ一羽の鳶を「見えざる矢を無形の弓につがえ」て打ち落とすのを見て、紀昌は慄然とする。「芸道の深淵の覗き得た心地であった」。
それから九年の修行の後、紀昌は山を降りる。その時、紀昌の顔つきは「以前の負けず嫌い」は消えうせ、「何の表情も無い、愚者の如き容貌に変わっていた」。そしてついに弓を持つことなく、弓という名も、その使い途も忘れてしまうまでに至っていたのである。
人が道を究めるということの意味、道を極めることの凄さと悲しさを考えさせられる一作である。
ところで、この中身の濃い作品が(全体で百数十頁の薄い文庫とは云え)、たった100円であることに不思議な感じがする。コーヒー一杯も飲めない金額で文庫一冊が楽しめてしまうことに違和感を感じてしまうのだが・・・。

2009年8月31日(月) ふるさと東京と出世の場東京(No.45)

小林信彦『私説東京放浪記』(ちくま文庫)

小林信彦の文章は若々しい。文自体も活力があるのだが、内容も生き生きしたものの見方がよく反映されていて楽しい文章である。作品を理解する上で著者の年齢や経歴を知ることが欠かせない要点になるケースも多々あるが、小林の場合は著作そのものを楽しめれば背景の諸事は関係ない。例えば、この人の年齢を今まで殆ど気にしたことはなかった。小林作品を読むのに著者の年齢は関係なかったし、それを知る意味も全くなかったのである。ところが今回たまたま小林が1932年生れだということを知った。なんと今年77歳ではないか。そうか、この人は昭和ひと桁生れだったのか、とあらためて意識した次第である。
『私説東京放浪記』の目次を見ると、表参道・原宿から始まって東京の主な地域名が並んでいる。書名からすれば、巷にあふれる東京案内のひとつと思われるかもしれない。しかし、プロローグを読むと、この本がただの「街・案内」ではないことが分かる。そして、著者の東京に対する深い思いも伝わって来る。プロローグ部分は東京案内というよりは都市論、東京論とでも呼ぶ方がふさわしいかもしれない。
同じ著者に『私説東京繁盛記』があるが、それが「1960年代の高度経済成長がどのように〈人間の住む街〉を殺したか」をまとあげた本であるのに対して、本書は「1980年代の〈地上げ〉〈バブル経済〉によって、がたがたにされた東京の姿」を著者の「時間軸にそった放浪にからませて」まとめた本である。東京をふるさととする人間のふるさと・東京への熱い想いが語られたこれら2冊の本は、観光ガイド・散歩ガイドとはひと味もふた味も違う作品となっている。
「環状六号道路の内側をすべて高層建築にする」という構想を聞いた著者は「東京を〈出世の場〉としか考えていない人間でなければできない発想である」と言う。
政治と経済の中心としての東京だけでなく、歴史と文化に支えられたローカルとしての東京を実によく紹介してくれている本である。かけがえのない東京がいかに失われて来たか、行間に著者の煮えたぎる想いを感じずには読むことができない。

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Akiary v.0.61