積ん読雑記

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2010年1月12日(火) 歌で蘇る想い出の個人史(No.50)

五木寛之『わが人生の歌がたり 昭和の追憶』(角川書店)

流行歌を振り返る時、人は誰でもその歌とともに当時の個人的あるいは社会的なさまざまな出来事を思い出す。『わが人生の歌がたり』は五木寛之が生れた昭和7年以降めぐり会ってきた歌の想い出を語りながら、自身の人生の歩みをふりかえっている。五木の記憶に残る歌の数々と個人史を記したものではあるが、そこにはひとりの作家の追想を超えた昭和の歴史が描き出されている。これまでにこのシリーズは「昭和の哀歓」(昭和7〜20年代)、「昭和の青春」(昭和20〜30年代)を刊行し、この「昭和の追憶」(昭和40〜50年代)は第3巻目となる。昭和という時代に歌、とりわけ流行歌がどれほど人々の生活に密着したものであったかを教えてくれる。かつて歌は社会と一体となっていた。「今は悪いニュースばかりで、毎朝、新聞を見るのが怖いぐらいの時代です。そういう時代を何とかするには、道徳教育とか法律で規制するのではなく、ひょっとしたら音楽とか歌の支えがあれば解き放たれることもあるかもしれないと思ったりするのです。今は万人が共有して歌える歌がないから、疎外感とか憎悪を直接行動で表現するほかなくなっているのではないかと思うのです」。確かに今は子どもから老人に至るまで誰もが口ずさむ歌をさがすことは難しい。毎日の喜怒哀楽を代弁してくれる歌があるということは私たちに活力と救いを与えるものかもしれない。
五木はこうも言う。「独自の文化を見せてくれと言われたときに、日本人は何を見せるか。能、歌舞伎、お茶などは、大きな伝統ではありますが、民衆の中に息づいている真の日本的なものと言われたとき、音楽ではやはり流行歌しかないような気がするのです。知的で教養の高い多くの日本人の心の中には、歌謡曲とか流行歌に対しては、好きだという気持ちと、それを人前に出すのは恥ずかしいという愛憎ふたすじの気持ちがあるのではないかと思います。そんな中で、私が歌謡曲を好きだと言って憚らないのは、自分の中にある日本人的なものを恥ずかしがるのはまずいとおもうからなんですね」。食いしん坊の私は、日本を代表する料理は懐石か、それとも味噌汁や漬物かというあらぬ方向へ飛んでしまったが、文化の基盤を大衆に置く、五木の考え方がよく表われていると思う。
これはNHKの「ラジオ深夜便」の放送に基づき編纂されたものであるという。私はラジオ深夜便を聴いたことはないが、辺りが寝静まった夜の底から聞こえる「わが人生の歌がたり」は昭和の追憶にピッタリであろう。
これを読んで私にはひとつ余禄があった。いろいろな歌詞が掲載されているのであるが、耳で聴くのではなく、目で見る歌詞はまた別の感慨を呼ぶ。中でも「わたしの城下町」。安井かずみ作詞のこの歌がみずみずしい情感をもつものであるのを再発見した。

2010年1月31日(日) 新聞小説のおもしろさ(No.51)

吉田修一『悪人』(朝日新聞社)

新聞小説は手軽に読めるということではたいへん身近で便利なものである。しかし、新聞小説を毎日確実に目を通し、読破している人はどれだけいるのだろうか? 新聞連載で思い出すのは日経新聞の渡辺淳一の小説だが、あれだけ話題になり多くの読者を獲得したのは極めて稀だろう。大半はごく限られた愛読者に支えられているだけかもしれない。当然のことであるが、ニュース記事と違い、小説の場合はストーリーを追って継続的に読まねばならない。しかし、毎日一定量を確実に読み継ぐのはかなり難しい作業である。一回、二回と欠かすことにあれば、徐々にストーリーが分からなくなり、まとめて読もうとはするものの結局は忙しさにかまけて遠ざかってしまうという大方の例ではないか。
さて、今回の『悪人』も朝日新聞に連載されたミステリーである。現代は現実に起こる事件の数々と虚構であるはずのミステリーの区別がつかないくらいである。フィクションが現実を先取りしているのか、それとも現実があまりにも不可解なのか? 
この小説を読むと、小説の方がむしろ人間的で実感が湧く。殺人事件の被害者と家族、友人たち、犯人とその周囲の人間たち、登場人物それぞれの人生の来し方や心の葛藤が生々しく描かれている。私はこの小説を新聞でなく単行本で読んだが、もし新聞で読んでいたら毎日事件を追うがごとくもっとエキサイティングに読めたものと思う。良いミステリーほど私たちをその世界に引き込んでいくものだが、新聞小説にはふさわしいジャンルであることを本書は証明している。しかし、この小説は10か月にも亘り連載されたが、毎回読者に対して翌日への期待感を持続させ得る筆力が要求される作家という仕事の厳しさも分かるような気がする。

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Akiary v.0.61