積ん読雑記

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2010年3月28日(日) 社会的一事件を題材に普遍性を紡ぎだした戦後日本文学の最高峰(No.54)

三島由紀夫『金閣寺』(新潮文庫)

私が小説に期待するものは、テーマの普遍性か娯楽性かどちらかである。後者は、それがミステリーでもファンタジーでも歴史小説でも時代小説でも青春小説でもどんなジャンルであっても構わないが、ひと時を楽しませてくれるものであれば申し分ない。一方、前者は時代を、性別を、世代を、国や地域を超えてなお耐え続ける不朽の主題を持ち合わせていなければならない。『金閣寺』は三島の代表作であるだけでなく、テーマの普遍性という点で戦後日本文学の最高傑作である。主人公にとって絶対的な美の象徴である「金閣」。これを永遠のものにするために火を放つという行為へ至る主人公の心の軌跡を完璧なまでに描いている。この作品を生んだ14年後に今度は三島自身が世の中に衝撃を与える行為に及ぶとは、この時点では本人でさえ知る由もなかったことだろう。
この作品で私がいつも気になるのは末尾の一文「生きようと私は思った。」である。金閣に火を放った主人公が、金閣寺の裏山、左大文字山の頂に逃れ、おびただしい火の粉を眺めながら煙草を吸いつつ語ったひと言だ。三島の主要作品では主人公が死ぬ結末が多い。その中で最後に「生きよう」という締めくくりは作品群の中でも極めて特異である。数多くの三島作品の中で、健康的な青春恋愛小説である『潮騒』と本作品は異質な存在と言える。昭和30年前後、すなわち昭和と同じ年齢であった三島30歳前後の両作品は題材が全く違いながら、ともに三島の上昇期の作であるところに共通性がある。無限の可能性を秘めていたこの時期であるからこそ言わしめた「生きよう」であるのだろう。
しばしば、この作品の主人公の行為と三島の最後の行動を結びつける向きがあるが、私は決してそうは思わない。しかし、絶対的なものへの崇高さに惹かれる三島の思想性はこの時点で完成の域に達していたと推測できる。「金閣=絶対美」の方程式は、「天皇=歴史と文化の象徴」とする独特の文化観に繋がるものでもある。金閣≠金閣寺、天皇≠天皇制でないのだが、この点は誤解が多い。例えば、三島にとっての天皇は天皇制ではなく、ましてやそこに政治性を求めるものではないのであるが、意識的か無意識的か、今も巷間取り違えた受け取り方が多いようである。
本作品は絶対美に取りつかれた人間のあり様とともに、「行為」と「認識」という対立概念を主題としている点に決して風化しない普遍性を見ることができる。「世界を変貌させるものは行為か?認識か?」。これは「感性か?理性か?」と置き換えても良いだろう。これは人間の生き方、芸術のあり方における永遠の課題を読書に突きつけてくる。敢えて言えば、作者はその人生の集大成に向けて、これを書いた時にすでに結論を出していたと言えなくもないが、私にはそれはすこしうがち過ぎた見方のようにも思える。 
ところで、後年の三島の小説は絢爛豪華たるもので、その余りにきらびやかな描写は濃すぎる感を否めないが、この作品の冒頭部分(以下に引用)の抑制の効いた無駄のない筆致はこの作家が本来もっていた文体の妙を証明してくれる。
『幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生れたのは舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽である。懇望されて僧籍に入り、辺鄙の岬の寺の住職になり、その地で妻をもらって、私といふ子を設けた。 成生(なりう)岬の寺の近くには、適当な中学校がなかった。やがて私は父母の膝下を離れ、父の故郷の叔父の家に預けられ、そこから東舞鶴中学校へ徒歩で通った。
父の故郷は、光のおびただしい土地であった。しかし一年のうち、十一月十二月のころには、たとへ雲一つないやうに見える快晴の日にも、一日に四五へんも時雨が渡った。私の変りやすい心情は、この土地で養はれたものではないかと思はれる。 五月の夕方など、学校からかへって、叔父の家の二階の勉強部屋から、むこうの小山を見る。若葉の山腹が西日を受けて、野の只中に、金屏風を建てたやうに見える。それを見ると私は、金閣を想像した。』(注;送りがなは原文のまま)


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