積ん読雑記

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2010年8月28日(土) 因果はめぐる、サッカーの歴史の不思議さと面白さ(No.60)

このところの暑さと新宿小田急百貨店の夏の古書市参加等々により、それを言い訳にして雑記をサボってしまいました。久し振りに書いてみて前回の内容を見ると、なんと!
前回も同じサッカーの話題。しかし、連日の猛暑に甘えてあまりかたくない方がいいのでは、と勝手に考えて再びサッカーの話ですが、お赦しください。


サッカーマガジン1974年8月号増刊(西ドイツ・ワールドカップ速報号)
                   ベースボール・マガジン社発行

今でこそサッカーは日本の主要なスポーツの一つに伸し上がったが、1970年代は人気も実力も世界水準からは程遠かった。1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得し世界を驚かせた日本代表チームもその後の長い低迷期に入り、世界はおろか国内においてもマイナースポーツに甘んじなければならなかった。海外の代表チームやクラブチームが時おり来日はしても、日本チームとの実力の差は歴然としていた。国際親善ではあっても中身の乏しい試合が多く、私たちが期待する白熱したゲームに接することはとても叶わなかった。
当時、世界のサッカーを目にすることが出来たのは、東京12チャンネル(現、テレビ東京)で週一回放映されていた「三菱ダイヤモンド・サッカー」である。金子勝彦アナウンサーと岡野俊一郎氏解説によるイングランド・プレミアリーグ(当時は1部リーグと呼んでいた)等のエキサイティングな試合に私たちは「いつかこのようなサッカーを目のあたりにしたい」と夢見たものである。
一方、活字媒体としての拠りどころは月刊誌「サッカーマガジン」であった。私が最も熱心にサッカーを見たのは1974年西ドイツで開催されたワールドカップである。サッカーマガジン8月号増刊はこの大会の模様を詳細に伝えていて、あの時の興奮が蘇る。中でも私が最も好きな選手である西ドイツのゲルト・ミューラーがオランダとの決勝戦でゴールを上げた写真は何度見ても楽しい。デル・ボンバー(爆撃機)と呼ばれ、相手ディフェンスから恐れられた点取り屋である。目まぐるしいポジションチェンジが常識になった今、彼のような専門職は以降姿を消した。ミューラーが「最後のセンターフォワード」と言われる所以である。当時、私は贔屓のチームが勝ち嬉しかった。しかし、公平に見るならば、この大会で優勝すべきはオランダであった。ヨハン・クライフ(ジーザス・クライスト・スーパースターをもじってヨハン・クライフ・スーパースターと呼ばれた)を中心とするオランダチームはトータルフットボールと称するポジションを固定化しないスピードと変化に富んだ革命的な戦法を生み出し、現代サッカーに通じる先駆的役割を果たした。奇しくも今年のワールドカップ決勝はスペイン対オランダだったが、クライフのサッカーを引き継いでいたのは母国オランダではなく、彼が選手、そして指導者として足跡を残したスペインであった。そのスペインが準決勝でドイツを、決勝でオランダを破ったことは因縁を感じさせる。
ところで今年の大会は多くの誤審が物議をかもした。特にイングランドがドイツ戦での完璧な得点をノーゴールと判定されたことが大きな話題となったが、遡ること44年前ロンドン大会決勝、同じドイツ(西ドイツ)相手にその時はゴールラインを越えていないにもかかわらず得点を認められ、イングランドが優勝を勝ち取った。スポーツの歴史も長く見ていると不思議な物語に遭遇する。それが面白さを倍加させてくれる。

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