積ん読雑記

バックナンバー

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

2010年9月25日(土) 想い出は生きがいとなり得るか(No.61)

中島京子『小さいおうち』(文藝春秋) 

先般の直木賞受賞作であるこの本は、大正生れの東北の一寒村の純朴な少女が戦前の東京に女中奉公にあがり、そこで体験した様々な出来事を回想する物語である。一見、古き良き時代の東京山の手生活文化を紹介するカタログ小説を読んでいるかのようだ。香蘭社のティーカップ、『主婦之華』、京橋のアラスカ、東京會舘、永藤、花椿ビスケット等々ここに書ききれないそれらの情報は、戦前の「東京モダン」文化をよく教えてくれる。
「あの頃の帝都東京は、美しい大都会だったもの」などと言われると、ちょうど「魔都上海」ということばが私の乏しい想像力をもかき立てて妖しげで謎めいた街がふくらんで来るように、決してこの目で確かめることも出来ない「帝都東京」が一層魅力的に思えてしまう。
主人公タキが、いくつかの奉公先でも最も濃密な時間を過ごした平井家の母子とのかけがえのない生活は、彼女の人生の最高の想い出となった。「女中」が差別用語と見なされ、かつてそれにとって替わった「お手伝いさん」も今では殆んど耳にしない。しかし、それが職業として成立していた時代、私の微かな記憶からは本人たちの立ち居振る舞いは明るく、卑下する様子は微塵も感じられなかった。勿論、人知れぬつらさはあったに違いないが、周囲の多くもそれなりに彼女たちを尊重していたように思う。そしてどの仕事にも必要な「ある種の頭の良さ」はこの仕事には最も不可欠なものかもしれない。タキにとっても女中はまさに天職であり幸せそのものだった。戦争へと突き進む暗い時代と平井家の楽しく平和な生活、そのコントラストが物語の進行とともに際立って来る。庶民の生活感覚は時として時代の歴史感覚と大きなズレが生じる。天皇機関説問題、二・二六事件、盧溝橋事件が相次ぐ中で、忍び寄る危機も知らず何事もないかのように続くタキたちの日常。社会の大きなうねりと庶民生活との落差。日本の近代化が常に孕んできた二重構造。それは知識人と大衆という対峙構造にもあらわれる。タキと奉公先の夫人・平井時子、青年・板倉正治この三者の人間関係がこの小説の根幹にあるが、私には彼らの単なる愛憎の物語を超えて、庶民・タキと知識人・板倉との軋轢と読めてしまうのだが、こじつけだろうか。
それにしても最終章の「大伯母(タキ)は、この美しい人妻に、恋をしていたのか」は言わずもがなと思うのだが。

[先月] [目次] [来月] [最新版] [トップ]

honya@kotonoha-shorin.jp
Akiary v.0.61