積ん読雑記

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2011年3月30日(水) 健気さ、愚直さ、誠実さ(No.65)

織田作之助『夫婦善哉』(新潮文庫)

最初は辛気くさく、所帯じみた話だと思った。冒頭の「年中借金取が出はいりした」からしてそうである。しかし、読み進むうちにこれは決してつまらない話ではなく、遠ざけるべき小説ではないと思った。織田作之助『夫婦善哉』(新潮文庫)は昭和15年に発表されたというから、ここに出て来る生活形態は様変わりしているけれども描かれている庶民感覚は時代を超えて読ませるものがある。生活に追われる種吉とお辰、両親のその日暮らしの家計のやりくりを冷静に見る蝶子。12歳の蝶子にでも「(家に金が残らないのは)父親の算盤には炭代や醤油代がはいっていない」のだと分かる。そんな才気にあふれて器量よしの蝶子は17歳で芸者になり、持ち前の明るさも手伝ってかお座敷では無くてはならぬ存在にまでなる。そしてお定まりのコース。化粧品問屋の女房子どもを持ちながら親からも見離されている放蕩息子柳吉に見そめられる蝶子。頼りなげな男にいつしか引かれる蝶子。そして勘当された若旦那との流転の生活が始まる。蝶子の稼ぎも、定職が長続きせず遊興にあけくれる柳吉の無駄遣いに消えるばかり。それも柳吉に心底惚れてしまった蝶子には生きる上の励みでもあるのかもしれない。オダサクはフィナーレを最初から決めていたという。その結末のほのぼのしさはある種、大阪ロマンの人情味が見事に醸し出されていると言えようか。
野坂昭如がオダサクの文体に大きな影響を受けたと聞いていたので、野坂のあの肺活量を求められるような息の長いセンテンスの特徴ある文体を想像していたが、意外にオーソドックスな読みやすい文章であった。
ここには関東大震災も取り上げられている。大阪から駆け落ちをして東京に行ってみたものの震災に遭い、再び大阪に戻るということでは彼らも被災者である。今、この小説を読めば、当然この度の東日本大震災が脳裏を過ぎらざるを得ない。1923年の関東大震災はすでに歴史の彼方に過ぎ去ってしまった出来事であるが、蝶子たちの震災を乗り切って行く愚直で健気な生き方は今に通じるものである。平成の現在にも無縁な話ではない。

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Akiary v.0.61