積ん読雑記

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2011年8月5日(金) 放射能の夏、既視感の夏(No.69)

原民喜『夏の花・心願の国』(新潮文庫)

「節電の夏」は記録的な猛暑をより厳しく感じさせるものがある。しかし、66年前の夏、この国のふたつの都市ではもっともっと灼熱の地獄に見まわれていたことも「原発災害」とともに思い出さずにはいられない。夏というとなぜか戦争、とりわけ原爆を連想してしまうのだ。そしてそこにいるはずのない戦後生まれの自分が、あの夏の青い空と白い雲をまるで見たことがあるようにまざまざと思い描けてしまう。
原民喜は疎開先の広島の実家で被爆した。本書はその体験を克明に綴った『夏の花』を中心に置き、原爆被災前後を時系列に綴った作品集である。大江健三郎の解説によれば「現代日本文学の、もっとも美しい散文家のひとり」である民喜によるこの本は「一遍、一遍の短い小説が、ほとんど重複することなくつながって、次つぎに大きい全体をあきらかにしてゆく」構成をとっている。被爆前年の妻の死、友人が見た(不吉な)粉雪につつまれた一瞬の静けさのなかの「痛ましい週末の日の姿」、本家(実家)にただよう「空気の異常さ」等々民喜の周辺の不幸や不協和音が8月6日に向かって「凶々しい予感」となり押し寄せていく。「私は厠にいたため一命を拾った。・・・・・・突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた。私は思わずうわぁと喚き、頭に手をやって立上がった。・・・・・・それはひどく厭な夢のなかの出来事に似ていた」。この被爆の瞬間から詳細に綴られる惨状。美しい散文家による描写はドキュメンタリーよりも生々しく読者の心に衝撃を与える。驚くべきは悲惨さを前にしても詩情を決して失わなかった民喜の姿勢である。広島が民喜の故郷とは言え、広島を疎開先とする必然性はなかったかもしれない。しかし、被爆者の手になるこのような叙情性豊かな原爆体験小説が残ったことは後世の者にとって貴重な財産である。3.11を体験した我々が未来に残せる文学が果たしていつ生れるのだろうか。

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Akiary v.0.61