積ん読雑記

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2011年9月23日(金) 刹那の真実、写真の魔力(No.70)

加藤嶺夫『東京 消えた街角』(河出書房新社・1999年初版発行)

93歳の日本画家・堀文子のことば「風景は思想である」に参ってしまった。「風景とは自然を取捨選択し、その国の人たちが作り上げた作品なのだ」と聞く瞬間から、過ぎ行く目の前の光景のひとつひとつに新鮮な息吹が見えてくるように思える。自然の中の命をモチーフとする作品を手がける画家ならではの哲学を的確に表していることばである。しかし、それは絵画よりも何よりも、写真にこそ最もふさわしいことばでもある。一瞬をとらえる写真、そこには誰もが予期せぬ真実の断面が見事に表現される。一瞬を永遠に変える写真家の卓越した技は時には人間の眼を超えた高みにまで見る者をいざなってくれる。いつかカメラ好きの知人が「ビデオがいくら凄いと言っても素人には所詮記録媒体でしかない。それに比べカメラは使い方次第では立派な芸術写真を生む奥深さがある」と言っていた。
『東京 消えた街角』は書名のとおり、今は見ることのできないかつての東京の風景を23区ごとに章分けした写真集である。当時の知る者にはなつかしさを、知らない者には現在との落差を知る貴重な手がかりを与えてくれることだろう。だが、この本を過去への郷愁やあこがれで眺めるだけでは意味はない。昭和40年代を中心とする街々の風景を見てあらためて東京という街がここ数十年いかに痛めつけられてきたかを実感した。人間と同様、都市もまた成長を遂げるためには捨てざるを得ないものは多い。しかし、内外のどの都市にもまして東京の近代化に伴う悲劇は、東京を愛していない政治家や官僚、そして建設業者たちの手にゆだねられたことに尽きる。東京の路面電車、低い町並み、路地、商店街等々この写真集からは当時の東京が思想をもった街であったことに気づく。今の東京の街角にはどんな思想性があるのだろうか。
あとがきで「この時代の母親は、必ずといっていいほど自分の子供の手を握っている、なぜだろう、と言われた。近頃の母親はそうではないのだろうか」と、著者は言う。この本の発行からひと昔以上が経ち、手を繋がないどころか子供を虐待する母親も出てきた。

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Akiary v.0.61