積ん読雑記

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2011年11月11日(金) 天才が神輿に見たもの(No.71)

三島由紀夫「陶酔について」(講談社文芸文庫『三島由紀夫文学論集U』所収)

三島由紀夫は31歳の夏、目黒区自由が丘・熊野神社の祭りで初めて神輿を担いだ。それは「幼児からの夢」であったのだが、それに必要な「体力」と山の手育ちは神輿を担がないという「社会的慣習」によりそれまで機会がなかったという。下町育ちの私には山の手のその社会的慣習なるものがよく分からないが、三島の場合はこの少し前に始めたボディビルの成果が出始めたころであり、慣習よりも何よりも人並みに体力をつけた自信がさせた行為であると考えるのが自然であろう。下町の人間であっても頑強な者ほど神輿の担ぎ手にはふさわしく、体力こそがこの「仕事」にはもっとも必要な条件である。
 それまで他人が担ぐ神輿を傍からしか見ることの出来なかった三島は、その中に熱狂と陶酔とを見出していた。「私は他人の陶酔を黙って見ていることはできない。・・・・・・どんな種類の陶酔も味う資格が私にはあり」、「静かな知的確信が何ものをも産まず、もっとも反理性的な陶酔ともっとも知的なものとを繋ぐ橋だけが、何ものかを生むのだと私は考えた」。
そして三島は続ける。「・・・・・・ここまで書いて私は失笑せざるを得ない。こんなことを考えて神輿を担ぐ大袈裟な滑稽な男は、一体どんな面(つら)をしているのであろう」。ここで私も思わず笑ってしまった。勿論、蔑みではなく文章の巧さとユーモアに参ったからである。深夜の書斎で原稿を書きながら、人前で見せたあの豪快な高笑いではなく、ひそかな忍び笑いをしている三島の姿が目にうかぶ。
 「幼児から私には解けぬ謎があった。あの狂奔する神輿の担ぎ手たちは何を見ているのだろうという謎である」。その謎を三島は自らの体験から、「青空を見ている」と解く。そして彼らの陶酔を「肩にかかる重み」と「懸声や足取のリズム感」との「不思議な結合」にあるのだと知る。重い神輿が肩にくい込む苦しさに陶酔を見る感性は言われてみればその通りと思うものの、並の感覚では及びもつかない。まさに三島美学の真骨頂と言えるだろう。「すべてのものに終わりがあるように、神輿の渡御にも終わりがある。・・・・・・彼は今日の晴れた一日に、その凶暴な力を以てしても破局の到来しなかったことを、不満に感じているのかもしれない」。この結びの文の続きは14年後に自らの行為によって達成しようとしたのかもしれない。
 小説とはまた趣きの異なる装飾の少ない随筆は名文を学ぶに最適の教材でもある。 

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Akiary v.0.61