積ん読雑記

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2011年12月23日(金) 忘れられたもう一人の雄(No.72)

増田俊也『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)

力道山をリアルタイムで知る人は今や少ない。同時代を生きた現在五十歳台以上で力道山を知る人は皆、あの強さと比類なき存在感の大きさを今も記憶の底に焼きつけていることだろう。昭和29年、その力道山と初代プロレス王者を賭けて戦った男が木村政彦であった。片や相撲界出身の力道山に対して木村は柔道界で「鬼の政彦」と恐れられ、柔道史上最強の男とも呼ばれた。後年、極真空手の大山倍達をして「(木村なら)ヘーシンクもルスカも三分ももたない」と言わしめた。東京五輪で日本柔道のプライドをズタズタしたあのヘーシンクでさえ敵わなかっただろう木村とは何者なのか? その「最強の男」木村政彦がもろくも敗れ去った力道山との決戦はなんだったのか? さらに両者を取り巻く戦前・戦後史が縦横無尽に語られる内容には、格闘技好きならずとも興味は尽きない。まさにミステリーにも似た面白さがある。
私は昭和29年の「巌流島の決戦」はテレビで紹介される古いフィルムでしか見たことがないが、この本を読むまでこの試合の意味するもの、そしてこの試合がその後の格闘技の歴史を決定づける転換点であったことを知るすべもなかった。力道山はそれ以降、昭和38年に不慮の死をむかえるまでの十年足らずの間に日本のプロレス界の輝かしい黎明期を築き上げた。一方の木村は、「力道山に負けた男」の汚名を着せられながらも平成5年、75歳まで家族と弟子たちに見守れられながら生きた。それでもあの敗戦は若い頃から勝つことにこだわり続けた木村にとっては大きな心の負債であったにちがいない。「力道山に騙された」木村は「力道山を刺し殺すために短刀を持って付け狙った」という。しかし、これは力道山への恨み以上に「自分に対しての情けなさの捌け口を求めた」ことを意味する。木村が晩年、故郷熊本の川辺で、「『力道山を殺す』と言って短刀を手にしたときから、煉獄の苦しみを見てきた愛妻に『これでよかったよね』」と言う場面は木村の万感の想いを読者にも喚起させることだろう。月刊誌『ゴング格闘技』に3年半にわたり連載され、単行本では実に上下二段、700頁に及ぼうとするこの長編は、一格闘家の足跡を辿る記録を超えて人間の一生を考えさせられる力作である。

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