積ん読雑記

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2012年6月4日(月) 井上ひさしの真髄、ユーモアとペーソス(No.75)

井上ひさし『手鎖心中』(文春文庫)

40年も前の直木賞受賞作であるが、今もその新鮮は衰えることない。エンターテインメントの面白さの中に漂う切なさこそが井上作品の特徴であるとすれば、本作品にもそれが存分に発揮されている。江戸・大店の若旦那のはかない夢を追う、ユーモラスでありながら物悲しい筋立ては、人間社会の機微をユーモアとペーソスで描くこの著者ならでは味わいである。ここには江戸の話にふさわしく、幇間が登場するが、この幇間、タバコの煙をおもしろおかしく吐き出す得意技を披露したあと、無理な芸がたたって体調をくずし、厠で苦しみながら次の本音を吐露する。「食うために煙草を喫ってその煙草のせいでせっかく食ったものを吐き出してるんですから世話はありませんや」。愉快さと表裏の悲哀、井上ファンが魅了されてやまないところだろう。
日本橋から始まって浅草、深川そして向島まで八箇所の江戸の街々をめぐりながら、現代に名を残す江戸文化人たちがオールキャストの如く登場する楽しさを読者は何気なく享受してしまうが、著者の博識ぶりをあらためて感じさせもする。
かつて井上は「辞書は引きものでなく読むものだ」と言っていたが、井上らしい同音異義語の言葉遊びなどは面白い。「言葉についちゃア妙な癖がある。たとえば、向学という言葉を聞くか言うかするとする。途端におれは、好学、後学、皇学、高額、講学、鴻学、溝壑⋯⋯というように同じ音を持った違う意味の言葉を思い浮かべてしまうんだよ」
また、娯楽小説の書き手としての痛みも伝わってくる。「戯作では食べていけませんよ」とか「人をおもしろがらせるために書くということは辛いことだ」などは登場人物のせりふながら、著者の心情が垣間見えるような気がする。
今回何十年ぶりかで読んで私がとんでもない記憶違いをしていたことが分かった。若旦那が最後は大川(隅田川)に身を投げたと思い込んでいたが、勝手にストーリーを改ざんしていたのである。果たして本当の結末は? 


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Akiary v.0.61