Azuki堂だより

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2019年11月4日(月) 秋 北海道へ その2

2日目、ホテルで朝食をとり
留寿都を出発しました。
あいにくのお天気、、、雄大な羊蹄山を
眺めながら、、とはいかず、、
雲の隙間から一部を拝むことになりました。
少し残念でしたが車を進め
朝もやのかかる京極町のふきだし公園へ。
(またしても湧水へ。長女の連れ合いは湧水に興味がある。)

昭和60年(1985)に認定された「名水百選」に
北海道から3つの場所が選ばれています。
「羊蹄のふきだし湧水」(京極町)と「甘露泉水」(利尻富士町)
千歳市・蘭越の「ナイベツ川湧水」です。
その中でも、羊蹄のふきだし湧水は有名で
「京極の噴き出し湧水」として北海道遺産にも選定されているとのこと。

朝9時ごろ到着で早い時間でしたが
たくさんの観光客がいました。
羊蹄のふきだし湧水は、ニセコ地方の湧水の中で
最大の湧水量を誇り、湧水量は1日に約8万トン。
日本国内でも最大級。湧出口周辺は冷たい水の蒸気が舞っており
マイナスイオンたっぷりでした。
羊蹄山に降った雨や雪が数十年の歳月をかけて地下に浸透し
京極のこの地に湧き出した湧水は
夏も冬も絶え間なく湧出し、水温は一年を通して約6.5℃。
冷たい水を味わい、苔生した岩の間を湧水が
悠々と流れる景色を堪能しました。
また、駐車場近くの売店で「朝採れ野菜」の文字に惹かれ
トウモロコシやパプリカを購入しました。

ここでも、、羊蹄山を拝むことはできず
後ろ髪をひかれながら一路、積丹半島へ向かいます。
ここまで、、なんとか我慢をしておりましたが
8月に痛めた足が、、悲鳴を上げておりました。
いつもはスタスタと歩いているのですが、、
今回は思うように歩くことができていません。。

積丹半島の海の幸を目指し約100qのみちのりです。
少し天気が回復し、9月の北海道にしては暑さを感じる陽気。
積丹ブルーがみられるよう期待。
信号も少なくなり穏やかなカーブの続く半島を
ひた走ります。途中、道の駅オスコイかもえないで
ソフトクリームを味わい、澄んだ海の岸壁につく
ウニを眺めながら一休み。痛い足をひきずりながら、、
海の近くまで行きアメフラシやヒトデに触れました。

ようやく、積丹半島での目的地の食堂へ。
神威岬にほど近い、人気のお店でした。
地ものの生うに丼は8月末までとのことで
海鮮のいろいろのっているどんぶりと
イカのお刺身をいただきました。

神威岬へはかなり歩くようで、、
地図上では、歩く距離が短いので大丈夫だろうと。
積丹ブルーを一望できる島武威海岸へと、、、向かうのでした。。。

つづく

2019年11月9日(土) 秋 北海道へ その3

あっというまに立冬ですね。
今年もあと1か月半。
朝晩の冷え込みもだんだん厳しくなってきましたね。
さて、連載?をしておりました「秋 北海道へ」も
今回が最終回となります。(長文にもう少しお付き合いください。)


神威岬の海鮮食堂をあとにし
さらに積丹半島をぐるりと東へすすみ島武威海岸へ。
島武威トンネルという暗く細いトンネルを抜けると展望台へ。
眼下には日本の渚百選に選ばれている島武威海岸の全貌が広がります。
「神秘の青」を呼ばれる積丹ブルーの美しい海。
かなり急な木階段の小道を海岸までひたすら下りていきます。
浜辺が近づくにつれて、透明度の高さが実感できるはず、
なのですが、とにかく急な下り道。
私の足は悲鳴を上げておりました。

痛い足をひきずり歩くこと15分以上、
ようやく海岸におりたちました。
海と遠くの岩、青い海と青い空。
ここまでの道のりに一片の後悔も残らないはずです。
が、見上げると、こんな高低差のあるところを
今度は上るのか、と、若干怖じ気づきましたが、
妻と大きな流木に座って一休み。
海岸で穏やかな時間を過ごす人たちを眺めました。
(相変わらず、長女と連れ合いは水際の散策をしています

意を決し、台風の接近がうそのような快晴の青空を仰ぎ
下に降りたからには当然ながら階段を上って帰ってこないといけません。
この階段が一段一段が大きくてとってもキツイ。
後に調べてみましたら展望台と海岸の高低差は60メートル以上あるそうです。

午後2時を過ぎ、疲労と眠気に負け
うとうとしながら車に揺られ余市・小樽方面へすすみます。
余市に到着し鶴亀温泉へ。別名「熱の湯」といわれる泉質で、
こってりとした赤さび色をした食塩水のお風呂。
よく温まり、湯冷めしにくく心も身体も芯からぽかぽかに。

また余市の道の駅に立ち寄り、ワインやめずらしい「ぎんなん草」(海藻)を購入し
今回の旅の目的として行ってみたかった「小樽市鰊御殿」をめざします。
小樽市鰊御殿は、明治30年に西積丹の古宇郡泊村に建てられたものです。
(たしかに、午前中通ってきた西側の海岸の途中で鰊御殿の表示がありました。)
その後、昭和33年、当時創立70周年を迎えた。
北海道炭鉱汽船株式会社が現在地に移築復元しました。
移築後、小樽市に寄贈され、昭和35年に
北海道の民家では初めて「北海道有形文化財鰊漁場建築」として文化財に指定されました。
館内には、にしん漁やにしん加工に使われた道具や、
番屋で暮らした人々の生活用品が展示され
当時の作業の様子を資料や写真でみることができました。(石狩挽歌の世界)満足満足。

2日目の宿は小樽。疲れた体をホテルで少し休め
小樽運河ビールで乾杯。夜8時の運河クルーズを予約し
6時目前、小樽の街並みを拝見、といきたかったのですが
どこのお店もどんどんシャッターを下ろして
閉まっていくではありませんか。
楽しみにしていた北一硝子も閉まっています。
長女は躍起になってどんどんと先へ歩いていきましたが
夕飯の場所も決まっていない状態でやや途方にくれながら
なんとかホテルの近くのお寿司屋さんで夕食をとることができました。
ここでもイカが美味でした。

そして小樽運河ナイトクルーズへ。
小樽運河は日本でも大変珍しい「埋め立て式運河」。
内陸を掘って出来た一般的な運河と違い、海岸線を埋め立てたそうです。大正12年に完成。
ガス灯や建物からの明かりが運河の水面に映り、ノスタルジックな雰囲気。
中央橋〜小樽港〜北運河〜南運河の浅草橋までを途中海に出たりしながら
約40分かけてめぐりました。大手の銀行が立ち並び、
小樽が港として繁栄していた時代に思いを馳せ、なんともいえない素敵な時間でした。
朝からの移動と島武威海岸のハードウォークも相まって
私と妻はいそいそとホテルへと戻るのでした。。
そして、テレビで迫りくる台風の情報を確認し
翌日朝一の飛行機に振り替えをし、私と妻は帰途に就くことにしました。
(長女夫婦は翌日札幌で人と会う予定があり、別便に変更)

3日目、朝5時。。
ひんやりとした空気の中
小樽駅までの緩やかな坂を歩くと左手に廃線跡が。
手宮線(てみやせん)は、北海道小樽市の南小樽駅から同市内の手宮駅を結ぶ
日本国有鉄道が運営した鉄道路線(貨物線)とのこと。
北海道で最初、全国でも3番目という由緒ある官営幌内鉄道がその前身。
幌内からの石炭を小樽港まで運ぶことを目的に建設され、
開業時は札幌まで、2年後には幌内まで全通した。
しかし石炭からから石油への産業エネルギーの転換
鉄道からトラックへの輸送手段の変化で昭和60年11月4日に貨物輸送も終了し
手宮線廃線となったのだそうです。

長女がホームまで来てお見送り。
小樽観光は、ガラスのお土産も買えずやや物足りないところでしたが
旅程の変更により最後に素敵な場所に出会えてよかったと思います。

千歳空港につくとやはり飛行機は出発が遅れてしまいましたが
ゆっくりとできたので、携帯の写真を眺めながら思い出を整理して
旅を締めくくるのでした。

終わり

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Akiary v.0.61