Azuki堂だより

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2009年4月4日(土) NHK朝の連続テレビ小説

昨日注文があった「会社はだれのものか」(岩井克人著)を発送手配。
 さて、会社勤めのときは、午前8時15分から始まる時間帯なので見ることなどできなかったNHKの朝の連続テレビ小説について。

 4月からは「つばさ」がはじまった。
 ドラマの舞台は、川越の老舗和菓子屋「甘玉堂」!。(「小江戸・蔵の街」川越は3月上旬に大学時代の友人たちと訪れたところ。)
 主人公つばさ(多部未華子)の母親で、10年前に家を飛び出した加乃子(高畑淳子)が実家でもある「甘玉堂」へもどってくるところから始まる。

 1週間見ての感想。母親(加乃子)はどこか「フーテンの寅さん」を思い出させる設定だ。穏やかな日常をかき乱す。「はたちのオカン」つばさ、祖母のおかみ・玉木千代(吉行和子)、父であり加乃子の夫・竹雄(中村梅雀)、そして弟・友秋(冨浦智嗣)が織りなす家族の物語。家族を囲む面々も多彩。
 今は亡き久世光彦さん演出の「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」を思い出させる茶の間の風景とドタバタ劇。(あの「貫太郎一家」に出ていた西条秀樹も加乃子の幼なじみで登場)
 
 ちなみに「篤姫」本寿院様役の高畑淳子はさらに輪をかけた高いテンションで演じ、井伊大老役であった中村梅雀は「純愛?」を貫く少し情けない役柄を楽しそうに演じているように見えます。
 
 和菓子屋「甘玉堂」を舞台にしているので、甘い物好きの、似て非なる我が「Azuki堂」(ふるほんや!)としても注目していると、なんと和菓子の大量生産機械「あずき2号」なるものがドラマに登場。「お、あずきだ」と直接関係ないのにもかかわらず、にんまりしている店主でした。さあ、洗濯、掃除・・・、仕事、仕事・・・。

(この朝連ドラを見ることができないお勤めの方にはすみません。NHKBSでは、朝のこの
連ドラを1週間分再放送しています。何だかNHKの宣伝マンみたいですね。)


2009年4月10日(金) 學而不思則罔、思而不學則殆

4月新学期。大学の入学式もすでに行われたところが多いようです。
店主の大学入学も40年以上も前のことになります。受験勉強も苦労したのかどうかの記憶も薄れてしまいましたが。
これからの学生生活を希望に胸をふくらませている新入生も多いことでしょう。
(景気が悪い中、親の資力も落ち込んで、学費などの負担も大変なことになっている学生。アルバイトをしなければ通うことが難しい学生。様々でありましょう。)
 受験勉強でとにかく大学へ入ることに一所懸命で、「大学では何を学ぶのか。」などのことは考えている余裕もなかった人も多いのでは。
かくいう店主も、そうでありました。

それぞれの大学では「ガイダンス」「オリエンテーション」等を通して、勉学・生活・サークル活動など、これからの大学生活について説明がなされることでしょう。じっくり考えてほしいと思います。どうか4年間充実した日々を過ごされるように。

店主が好きな言葉(自戒の言葉です。)を「論語 為政第二」から

15 子曰、學而不思則罔、思而不學則殆
子の曰わく、学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。

先生がいわれた、「学んでも考えなければ、[ものごとは]はっきりしない。考えても学ばなければ、[独断におちいって]危険である。」
  (*学んでも― 学とは本を読み先生に聞く、外からの習得をいう)

(「論語」金谷治 訳注 岩波文庫 昭和46年4月10日第13刷より)


▼ 少し図々しいご案内

「学生諸君! さっそうたる明日へのメッセージ」光文社 2006年刊初版(価格1000円)がAzuki堂の目録にあります。これからの学生生活にヒントが一杯のメッセージ。
32人の真の大人が発信する。学ぶとは、自立とは、生きるとは何か。
(宮沢賢治・高村光太郎・吉本隆明・倉橋由美子・高橋和巳・太宰治・稲垣足穂・
色川武大・小林秀雄・堀田善衛・岡本太郎・夏目漱石・今西錦司・武田泰淳
谷川雁・田村隆一・堀口大学・吉野弘・渡部京二・橋川文三・寺山修司・坂口安吾・
萩原朔太郎・野坂昭如・川端康成・澁澤龍彦・神谷美恵子・金子光晴・柳田國男・
井上陽水・石牟礼道子・ル=グウィン)

*この本購入の学生の方には送料はサービスいたします。(在庫は1冊のみ)

2009年4月17日(金) 映画「華氏451」

一昨日、昼食を済ませ、午後の仕事にとりかかる前に、何気なくテレビ欄を見たらNHKBSで「華氏451」とある。学生のときに見たいと思っていたが「見逃した」映画です。

 監督はフランソワ・トリュフォー(原作はレイ・ブラッドベリのSF小説『華氏451度』)1966年制作。日本での公開は1967年。
映画の冒頭タイトルやクレジットは一切表示されず、ナレーションによって説明される。(文字を排除する世界を暗示!?)
 映画は、まず消防隊(?)の車が出動する。ある家の中で本の探索・発見そして火炎放射器による本の焼却。本の持ち主の逮捕。消防士の役割は、消火活動ではなく「本を燃やす」のである。ナチス・ドイツによる焚書の光景を想い起させる場面だ。

 映画に出てくる登場人物は、喜怒哀楽がなくほとんど無表情だ。あらゆる情報・知識はテレビにより伝達され、その意のままに暮らすことがすなわち平和な生活ができると思われる世界である。
「本」、特に小説は、人々の喜怒哀楽の感情を揺り動かす、そして読むことは、記憶・記録する行為となる。
「感情」「記憶」を人々が持つことを恐れる権力。「感情」「記憶」を抹殺するシステムを持つ社会が描かれる。「本」はその第一の標的。所有し、読む行為そのものを禁じ、犯罪とする世界。

 本を「あきらめない人々」は森の中で、「本の人々」と呼ばれる人間の国を作る。一人ひとりがそれぞれ1冊の本を丸ごと暗記・記憶し、各人が『高慢と偏見』、『君主論』、『プラトンの国家』、『サルトルのユダヤ人』などの書名を自分の名前にすることになる国だ。そして本の内容を記憶したら本を焼却し、死が近づくときには他者へ口承する。

 主人公(消防士のモンターグ)はある日、近くに住む若い女性クラリスに「本」の魅力を教えられ、本の世界に引き込まれるが、妻に密告され、自分の本を燃やされるとき、上司を殺して逃亡。そして「本の人々」の国へ。本を読む自由を得たモンターグはエドガー・アランポーの暗唱を始める。

 題名の「華氏451」は「紙が自然発火する温度」だそうだ。消防隊の建物、消防士の制服には451の数字が付けられている。(ちなみに華氏451度は摂氏約232.8度になる。日本社会では「華氏」は使わないですね。)

 1966年につくられた映画であるので、その時点では、オルダス・ハックスレーの「素晴らしき新世界」、ジョージ・オーウェル「1984年」を思わせる、近未来の管理社会・監視社会を見据えた映画であったのだなと思いました。
 
「戦争は平和である」「自由は屈従である」「無知は力である」という二重語法(矛盾した二つのことを同時に言い表す表現)がオーウェル『1984年』には出てきたが、いま1984年を遥かに過ぎて、つい数年前には「自衛隊員のいるところが非戦闘地域だ」などの言い方がまかりとおっている国で、管理されていることに自覚のないままに、思考を停止し、知らず知らずに「管理社会」に身をゆだねてしまってはいまいかと注意を喚起されたような気がしました。

「本のない国」にはしないぞと珍しく力が入った店主でした。

 一昨日発売された、創刊50年復活「朝日ジャーナル」(週刊朝日緊急増刊)の表紙には
  『 崩壊寸前の「日本型社会システム」 
   いま問われているのは、私たちの「知性」そして「感性」―』
とありました。

2009年4月27日(月) 開港150周年 横浜市歌

 午後ラジオを聞いていたら、今年は、「横浜開港150周年」にあたり、記念のイベント(開国博Y150)が明日から行われるという。
 生まれてから二十歳まで横浜で暮らしていました。わが故郷なのです。
確か、横浜開港の日は6月2日で、市立の小中高の学校は休日だった。(今も学校は休みなのかどうか。)
 小学校5年生の時に「横浜開港100周年」を迎えていたと思う。思いだすのはこうした記念行事・学校行事のときには必ず「横浜市歌」というのを歌った。頭の中、体の隅々までこの歌は浸透し、血となり肉となっている?のではと思う。愛唱歌でもある。

入学した小学校(現在)のホームページを見てみると

『地域は、鶴見川の下流に広がり、主に住宅街や商店街や町工場で構成されている。大正15年(1926年)に創立され、京浜工業地帯の発展にともない地域の人口が増え、その結果児童数は昭和31年(1956年)には2807名となり、マンモス学校と呼ばれた。』
とある。そう、確かに本当に子どもの数が多く、朝礼などのときは校庭からあふれんばかりに、ぎっしり詰まった感じでした。
 入学時、1年のクラスが14クラスあり、教室が足りず午前と午後に分かれて2部授業をやっていた。先生の数も100人は超えていたのでは。
そして3年の2学期に分校に移り、翌年その分校が独立!して新しい小学校として出発した。新しい学校には校歌はなく、学校行事のときは、「横浜市歌」をうたうことに。

中学校も同様1年の途中で、分校から独立の中学校で第2期生、校歌はまだできておらず、高校も新設の市立高校第2期生で校歌はなし。(ちなみに校舎も建築中で、半年間、定時制高校の校舎を借りて授業を受けていた。東京オリンピックの年でした。)

 それで「横浜市歌」である。

『横浜市歌』    作詞:森林太郎(森鴎外) 作曲:南能衛
♪♪
わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に
連り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ
されば港の数多かれど 此横浜に優るあらめや
むかし思へば苫屋の烟 ちらりほらりと立てりし處
今は百舟百千舟 泊る處ぞ見よや
果なく榮えて行くらん御代を 飾る寶も入り來る港

当時、歌詞を文字で読んだ記憶がなく、歌を聞きながら耳でおぼえたような気がする。それで歌詞の意味もわからず歌っていたようだ。
たとえば
「わが日の本は島國よ」とあるが、横浜市の歌なのだから「わが市の元は島国よ」と思って歌っていた。
「果なく榮えて行くらん御代を」のところは「はてなくさかえて行くらん見よ」と。
(最近まで思っていた。)

作詞が、文豪・森林太郎(鷗外)であったことはまったく知らずに、2年ほど前にようやく知りました。
1909年(明治42年)7月1日「開港五十年記念大祝賀会式典」の席で初めて披露されたとのこと。作曲は東京音楽学校(現在・東京芸大)教師・南能衛。

♪ ♪
 (前奏)
タン タタ タタタタ タンタンタン

わが市の元は島国よ 朝日輝ふ海に
連なり・・・・・・
♪♪
 やはり「わが市の元は」と歌い、開港記念日には横浜へ行こうと思う店主でした。


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